鹿を歯医者に連れて行く / Take my deer to the dentist

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鹿を歯医者に連れていく
Take my deer to the dentist

久保田沙耶 / Saya Kubota

人にとって、鹿は古くから物であった。食肉を意味する「シ」と、毛皮を意味する「カ」。つまり我々は、常に彼らを死体となった後の資材名称で呼んでいる。現代でも害獣と呼ばれ、殺されることを、物となることを我々から数万年間容認され、宿命づけられている。
まさしく物となった鹿の頭骨を見ると、地面を食んだ鹿の臼歯が大地の隆起そのものに見える。歯のすり減りは、大地の永い履歴の部分転写。この輪郭のなかに、生き物としての彼らを見つけた。せめて銀歯の金銀パラジウム合金による半永久的な輝きでその永い輪郭を包み上げて、数万年分の生命性をいま奪い返してあげよう。

Deer, shika in Japanese, have been objects for men. Shi means meat and ka means fur. We call them with the name of the materials, the way they are after death. They are called destructive animals. Deer have been accepted and destined by us to be killed and to become objects for tens of thousands of years.
When you look at the skull of the deer, which has become the object, molars of the deer that had eaten the earth really look like the uplifting of the earth itself. Abrasion of the teeth is the partial copy of the long history of the earth. I found them as live animals in this outline. I will take back their tens-of-thousands-of-year of life through wrapping the long-lasting outline with semi-permanent brightness of gold-silver palladium alloy used for silver crown.

2014
鹿、パラジウム、鏡、カルテ、地図、ミクストメディア
deer, palladium, mirror, clinical records, map, mixed media

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Exhibition

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「鹿を歯医者に連れていく」によせて

この作品は、銀歯をかぶせるという治療行為について、
「死体に施す」ということと、「鹿に施す」という二つの大きなナンセンスが重ねられている。
「鹿 / 歯科」というダジャレが透けて見えることもまた
ナンセンスさを加速しており、見た人は思わずぎょっとする。
一体何のため、誰のため、もしかしてダジャレのためなのか、と。

これをエンジェルメイク(死に化粧)のように捉えるならば、
一見まったく無意味な治療や繕いは、意味ある弔いとして機能するだろう。
しかし単なる慰みの化粧を超えて、
「歯型」という、食われ続けた彼らの「食った痕跡」に個体の生命性を見つけたこと、
臼歯のすり減った輪郭に大地の隆起の裏返りを見たこと、
歯科治療ユニットに置くことでその尊厳を人間と並べたことによって、
資材としての鹿から、生き物としての鹿の履歴を取り戻していることが瞬間的にわかる。

ところがその次の刹那、翻ってこの頭骨が
「トロフィとして物に回帰している」ことに気付き、
その奪い返した生命性をまたすぐに弄んでいるようにも見えてくる。
思い返せば銀歯も、肉体のなかに半永久的に腐食しない金属を装着することによって、
ある種の生命性が奪われ、自らが工芸化されてしまうような感覚を生むものだ。
やっぱり、もしかして、彼らの尊厳を、すっかり台無しにしているんじゃないだろうか?

この優しいのか残酷なのかわからない、誰のためにもならない身勝手な行為によって、
鑑賞者がリアリティをもって鹿の生命性と対峙できることは確かだろう。
彼らを「シカ」と資材名称で呼び、その尊厳を奪っていることにまったく気付かない我々が、
尊厳が取り戻されたその刹那に尊厳を奪われる一連の行為を見せつけられることで、
鹿の悼みにはじめて気付けるのだから。
積み重ねた履歴や尊厳を取り戻すことも消すことも一瞬で自在にできる、
「現在の暴力」というものも同時にまざまざと感じながら。

(建築家/批評家 松島潤平)