moon drawing -週末美術館- 久保田沙耶×松島潤平

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moon drawing
久保田沙耶

飛行機の窓からのぞむ月は低く、同じ目線に浮かぶほど近かった。光というより、色のにじむ球体。カメラのシャッターを開けっ放しにして、月の絵筆を立ててキャンパスを動かす。地球も、月も、それを照らす太陽も、そして飛行機に乗った私も、固定されることなく動きながら、みんな一緒にたった一つの線を描いている。星と星と星と星のドローイング。
シャッターが開き、閉じるまで。それぞれの事情でたゆたう星たちが一斉にこの絵のために交わった、わずかな時間のたしかな証拠。おぼつかない存在たちの、こんなにもゆるぎない形。

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理学と文学のドローイング

「moon drawing」
によせて

建築家/批評家 松島潤平

太陽と月は、変わるけど、変わらない。「周期性をもって変わる」ということが変わらない。大地と海は、時として不規則に変わる。でも太陽と月のタッグは絶対にブレない。彼らは距離も大きさも桁違いなのに、神の為せるなんたる偶然か、地球においてはほぼ同じ大きさの球体として、昼と夜でバトンタッチしながら淡々黙々と時間を示す。人間は彼らの不変性と普遍性に寄り添うことで、賢く強くなった。

月は夜、理学と文学の交点に浮かぶ。いつも見えているのに手が届かない。そのくせ歩くと付いてくる。太陽はちょっと熱くて無理そうだけど、月にはどうにか触れられるんじゃないか?そんな予感のもと、ある者は理学を生み、ある者は文学を生んだ。どの文明にも、皆が寝静まる夜に眠らず、星や月の動きを延々と眺める変人が必ずいて、「天文」の字のごとく天に文様を刻む光を眺め、手元に記録や物語を刻んだ。つまり人間の「記述」という極めて崇高な欲望と習性は、夜に生まれた。そんな根本的な事実がとても好きだ。動物としての生理的な欲求の先にある動機を生み続け、人間を人間たらしめる寡黙で強烈な機構。夜があり、月があれば、きっと人は人でいられる。

高速で動く飛行機のなか、その月が、絵筆を掴むくらいの感覚的距離にある。なるほど、自らもまた星だと思うには充分な状況かもしれない。「still life」で大地に貼り付き、地球を丸ごと静物にしたあとで、今度は大地を離れ、星になる。そのとき、私と、月と、地球と、太陽は、まったく同じ単位の孤独な隣人。「万有引力とは/ひき合う孤独の力である」という谷川俊太郎氏の言葉のもと、シャッターが閉じるまでの数秒間だけ、共謀して新たな引力関係を結ぶ。

カメラと飛行機
人が月を目指すなかで生まれた理学的副産物と、人が月に触れるため発明したスケールを突き抜ける文学的傲慢さをもって、数百万年を掛けてピントの整いつつある月の輪郭と軌道を、また思い切りブレさせる。変わらないことで人を人たらしめてくれた月を、最大の敬意を払うがゆえに、思い切り歪ませる。そんなねじれた動機で物事を屈折させることが現在の暴力であり、現在の美術だ。このめちゃくちゃな一筆書きの軌跡は、物から湧き上がる物理(理学)と物語(文学)のあいだに、確かに滲んでいる。

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